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2015年5月6日水曜日

堺散策

戦国時代国際貿易都市として栄え、利休などの文化人を輩出した堺市を散策した記録です。


ルートマップ

 南海本線堺駅の一つ手前(北)の七道駅で降り、(1)旧鉄砲鍛冶屋敷→ (2)山口家住宅 → (3)西本願寺堺別院 → (4)妙国寺 → (5)ザビエル公園 →
利晶の杜 → (6)千利休屋敷跡 → (7)南宗寺を巡り、仁徳天皇陵の傍のJR百舌鳥駅から帰った。

 1 旧鉄砲鍛冶屋敷(非公開)

説明板

同じ通りにある展示場
火縄銃のサンプルや工程を説明する作りかけの銃のパーツが展示してある。

炉の模型

 2 山口家住宅(パンフレットより)
豪商の屋敷 江戸時代初期の建築

3 西本願寺堺別院
この辺り多くの寺院がある その中で最も大きな寺院

堺HAMONOミュージアム
 堺は刃物の製産地としても有名。ここはいろんな種類の刃物を展示販売している。
5 ザビエル公園 記念碑 
 ザビエルが日本に来て京都へ向かう途中、この場所にあった豪商の家に1月ほど滞在した。

6 利休屋敷跡

7 南宗寺山門
 南宗寺は戦国武将三好長慶が建立した臨済宗大徳寺派の寺院で、境内に多くの塔頭を有する大寺院である。利休もここで修行し、千家一門の供養塔があり毎年三千家の家元が集まり供養をするそうである。また、徳川家とも縁があり、家康、秀忠、家光などもここを訪れたそうである。また、家康は大坂夏の陣で、実は討ち死にをし、密かにここへ葬られたとの言い伝えが有り、実際家康の墓がある。
南宗寺案内板

千家一門の供養塔

三好一族の墓

石庭

坐雲亭(境内の楼閣)
秀忠、家光が来たことがある
















2015年1月12日月曜日

摂津富田めぐり

 高槻市の富田地区は現在は高槻市街の一部となっているが、昔は独立した町であり、たくさんの大きな寺院がある寺内町で、また江戸時代には酒造りが盛んな町であった。現在でも町のあちこちに風情のある古い街並みが見られる。長年高槻市に住んでいる私も少し離れていることもあって、いまだにこの辺りを散策したことがなかったので歩いてみた。経路は下の地図に示したようにJR摂津富田駅から阪急総持寺駅までの約3km の道のりである。
散歩の経路(クリックすると大きくなります) 

出発はJR摂津富田駅。駅前からまっすぐ延びる商店街通りを南に進むと阪急京都線の踏切に至りさらに南へ歩く。お店が少しまばらになってきた辺りで道が枝分かれするが右手の道を少し行くと立派な築地塀が見え、本照寺(地図の A地点)の東門に至る。中に入ると大きなお堂が見える。
本照寺本堂
左に少し見えるのは宿坊

 本照寺は、下の写真の由来書きのように、室町時代に建立された真宗本願寺派の寺で摂津国での本願寺派の拠点となった御坊であり、現在もかなり大規模な寺院として残っている。
本照寺来歴(クリックすると大きくなります)

本堂の正面に南門がありり門前には立派な石の表示がある。
本照寺南門

 南門を出たところの道を左(東)に少しゆくと先ほど通った道と交差するのでここを右に曲がり南に歩いて行くと道が突きあたりとなりとなり、左(東)に曲がって少し行くと現在この地区に2つ残っている酒蔵の1つ清鶴酒造の古く風情のある建物にいたる(地図の地点)。なお、この辺り、この他にも古い街並みが残っており、主な四つ辻には高槻市の道標が建ててありこれに従って歩くと迷わない。
酒蔵に囲まれた通り

清鶴酒造の入り口

市の案内板(クリックすると大きくなります)

酒蔵の前の道は突きあたりになっているが、そこを右(南)に曲がり、少しくだって行くと右(西)に行く細い道があり、そこを右に回って少し歩くとまた突きあたりとなるが、そこに教行寺の山門がある。(地図のC 地点)
教行寺山門

 教行寺は本照寺に少し遅れて蓮如上人によって創建されたやはり真宗本願寺派の寺院で、蓮如がここで親鸞の教行信証を書写したということでこの名がついている。規模こそ本照寺より小さいがこちらも由緒ある寺院である。
教行寺由来書(クリックすると大きくなります)

 教行寺の山門を出て門前の道を左(北)に進むと、先に歩いた清鶴酒造へ至る道に突き当たるが、少し右手にある本照寺に至る道を先ほどと逆行する。少し行くと少し広い道と交差するがそこを左(西)に曲がる。四つ角に道標が有り三輪神社の方向へ進めばよい。少し行くと右手に三輪神社(地図のD 地点)の入り口の鳥居がある。
三輪神社入り口


三輪神社は奈良桜井市三輪にある大神(おおみわ)神社の末社で、お酒の神様を祀っている。ということで境内の拝所にはたくさんの酒樽が収めてある。

三輪神社の拝所

説明板(クリックすると大きくなります)

 次に向かうのは普門寺(地図のE 地点)であるが、ここはアプローチが少しむつかしい。三輪神社の奥の西の出口から出るとすぐに普門寺へ向かう参道に出会うが、一旦、三輪神社を出て前の道を右(西)に少し行くとこの参道に続く道に出会う。参道の奥(北)に小さな山門があるが残念ながら、予約がないと中へは入れない。
普門寺山門

 普門寺は室町時代初期に建立された臨済宗妙心寺派に属する禅寺で、戦国時代には三好一族に担がれ14代室町将軍となった足利義英(よしひで)がここに幕府を開いたところとしても知られたいる。また、江戸時代初期に黄檗宗を開いた中国僧隠元和尚が宇治に黄檗山萬福寺を創建するまで一時ここに滞在したこともあるという由緒ある寺である。ということで、境内も広く、立派な枯山水の庭園もあるようだが周りは高い塀で囲われ中をうかがうことは出来なかった。
普門寺説明板(クリックすると大きくなります)

 普門寺を後にして次はかなり西、阪急電車総持寺駅の近くにある慶瑞寺(けいずいじ)に向かう。こちらも山門前は狭い道なので少しアプローチが難しいが上の地図と道標を頼りにたどり着く(地図の地点)。創建は白鳳時代(持統天皇の頃)ときわめて古いが、一時衰退し、江戸初期に普門寺の僧龍渓が再興し、普門寺に滞在していた隠元もかかわり、現在は黄檗宗の寺院となっている。境内は広く中央に立派な本堂がある。
慶瑞寺山門

慶瑞寺本堂

入口近くにあるお堂

 境内を見回っていると面白いものを見つけた。入り口近くにあるお堂の玄関口左上に木製の魚がつるしてあるのがそれで、少し拡大したのが下の写真である。
魚形開板

 これは開板(かいばん)というもので木槌でたたいて音を出し僧達に時刻を知らせるものだそうだ。これの巨大なものが黄檗宗の大本山宇治の黄檗山萬福寺にもある。
黄檗山万福寺の巨大な魚形開板

上の写真がそれで、齋堂と呼ばれる食堂の前の回廊にかかっている。ということで、慶瑞寺が黄檗宗の寺で、恐らくうえのお堂は食堂でもあることを語っているようだ。 
左後方 後水尾天皇の歯を納めた聖歯塔

 その他境内の一角に上の写真のような多重石塔が立っている。実は、これは、この寺をよく訪れたという後水尾天皇の歯を納めたもので聖歯塔と呼ばれる。といった具合にこの寺もなかなか由緒ある寺で下に説明板を示しておく。
慶瑞寺の説明板(クリックすると大きくなります)

 慶瑞寺を出て西へ阪急電車の総持寺駅で電車に乗り帰路についた。































2014年5月2日金曜日

東寺特別公開

JRの電車が京都駅に近づくと南側に大きな五重塔が見える。いうまでもなく東寺(教王護国寺)の五重塔である。現役時代は毎日これを見てきたわけだが、実は東寺の境内に入ったことはなかった。今回、京都春期非公開文化財特別公開にあわせ、この五重塔の内部に入れるということで始めて境内に入った。
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国道1号線(九条通)に面した南壁。南大門とその後ろに五重塔が見える。

南大門 ここから入る。門の向こうに見えるのは金堂

南大門を入ると正面に大きな金堂(国宝)が見える。室町時代に再建された
もので内部には本尊薬師如来と日光、月光の両脇仏が安置してある。

講堂(重文) 
金堂のすぐ裏(北側)に講堂がある。これも室町時代に再建された
ものである。内部には有名な立体曼荼羅が安置してある。

立体曼荼羅 
真言密教で重要な曼荼羅図を仏像により表現したもの。
中央は大日如来
創建当時の仏像もあり10数体の国宝が含まれる
(パンフレットより)

宝蔵 
宝物級のお経などが収蔵されていた。平安時代の建物

五重塔(国宝) 
高さ55mあり現存する木像の塔としては日本一の高さ
何度も火災に遭っておりこれは江戸初期(1644年)建立
ただ、特殊な柔構造により地震で壊れたことはないらしい。

金堂付近よりみた五重塔

大師堂(国宝) 
弘法大師の住坊で内部に国宝の大師像が安置されている。


観智院庭園(五大の庭)
観智院は最も格式の高い塔頭で桃山時代に建立された客殿は
国宝建築物に指定されている。
この庭は客殿に面した庭で、左の築山は日本、右側の築山は中国を表し
その間にある砂原は海を表し、空海の渡航を象徴している。
中央に遣唐使船を表す細長い石があり、その周りを取り囲む
石組みは船を守護する竜神、神亀、鯱(シャチ)を表している

















2014年4月10日木曜日

建仁寺                               2013年5月

建仁寺は京都祇園の花街の南に大きな寺域を持ち、栄西(ようさい)禅師を開山とし鎌倉時代初期(1202年)に創建された京都最古の臨済宗の禅寺である。堂塔は何度も火災に遭ったようだが、内部には俵屋宗達作とされる国宝の風神雷神図(だだし公開されているのは複製)や多くの重要文化財が保存されている。
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山門

俵屋宗達筆・風神雷神図(大書院)
国宝ですが精巧な複製です。

海北友松筆・花鳥図(重文)
海北友松はは桃山時代の画家。明智光秀の重臣斉藤利三の盟友でその墓は真如堂の墓地に並んで立っている。

海北友松筆・琴棋書画図(重文)

海北友松筆・竹林の七賢図屏風(重文)

双龍頭(法堂)

大雄苑(方丈庭園)

◯△□乃庭(書院内庭)

潮音庭(書院庭園)

東陽坊(茶室)
秀吉の北の大茶会に使われた茶室。にじり口の高さが高い。

公式サイト