散歩の経路(クリックすると大きくなります)
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本照寺本堂
左に少し見えるのは宿坊
本照寺は、下の写真の由来書きのように、室町時代に建立された真宗本願寺派の寺で摂津国での本願寺派の拠点となった御坊であり、現在もかなり大規模な寺院として残っている。
本照寺来歴(クリックすると大きくなります)
本堂の正面に南門がありり門前には立派な石の表示がある。
本照寺南門
南門を出たところの道を左(東)に少しゆくと先ほど通った道と交差するのでここを右に曲がり南に歩いて行くと道が突きあたりとなりとなり、左(東)に曲がって少し行くと現在この地区に2つ残っている酒蔵の1つ清鶴酒造の古く風情のある建物にいたる(地図のB 地点)。なお、この辺り、この他にも古い街並みが残っており、主な四つ辻には高槻市の道標が建ててありこれに従って歩くと迷わない。
酒蔵に囲まれた通り
清鶴酒造の入り口
市の案内板(クリックすると大きくなります)
酒蔵の前の道は突きあたりになっているが、そこを右(南)に曲がり、少しくだって行くと右(西)に行く細い道があり、そこを右に回って少し歩くとまた突きあたりとなるが、そこに教行寺の山門がある。(地図のC 地点)
教行寺山門
教行寺は本照寺に少し遅れて蓮如上人によって創建されたやはり真宗本願寺派の寺院で、蓮如がここで親鸞の教行信証を書写したということでこの名がついている。規模こそ本照寺より小さいがこちらも由緒ある寺院である。
教行寺由来書(クリックすると大きくなります)
教行寺の山門を出て門前の道を左(北)に進むと、先に歩いた清鶴酒造へ至る道に突き当たるが、少し右手にある本照寺に至る道を先ほどと逆行する。少し行くと少し広い道と交差するがそこを左(西)に曲がる。四つ角に道標が有り三輪神社の方向へ進めばよい。少し行くと右手に三輪神社(地図のD 地点)の入り口の鳥居がある。
三輪神社入り口
三輪神社は奈良桜井市三輪にある大神(おおみわ)神社の末社で、お酒の神様を祀っている。ということで境内の拝所にはたくさんの酒樽が収めてある。
三輪神社の拝所
説明板(クリックすると大きくなります)
次に向かうのは普門寺(地図のE 地点)であるが、ここはアプローチが少しむつかしい。三輪神社の奥の西の出口から出るとすぐに普門寺へ向かう参道に出会うが、一旦、三輪神社を出て前の道を右(西)に少し行くとこの参道に続く道に出会う。参道の奥(北)に小さな山門があるが残念ながら、予約がないと中へは入れない。
普門寺山門
普門寺は室町時代初期に建立された臨済宗妙心寺派に属する禅寺で、戦国時代には三好一族に担がれ14代室町将軍となった足利義英(よしひで)がここに幕府を開いたところとしても知られたいる。また、江戸時代初期に黄檗宗を開いた中国僧隠元和尚が宇治に黄檗山萬福寺を創建するまで一時ここに滞在したこともあるという由緒ある寺である。ということで、境内も広く、立派な枯山水の庭園もあるようだが周りは高い塀で囲われ中をうかがうことは出来なかった。
普門寺説明板(クリックすると大きくなります)
普門寺を後にして次はかなり西、阪急電車総持寺駅の近くにある慶瑞寺(けいずいじ)に向かう。こちらも山門前は狭い道なので少しアプローチが難しいが上の地図と道標を頼りにたどり着く(地図のF 地点)。創建は白鳳時代(持統天皇の頃)ときわめて古いが、一時衰退し、江戸初期に普門寺の僧龍渓が再興し、普門寺に滞在していた隠元もかかわり、現在は黄檗宗の寺院となっている。境内は広く中央に立派な本堂がある。
慶瑞寺山門
慶瑞寺本堂
入口近くにあるお堂
境内を見回っていると面白いものを見つけた。入り口近くにあるお堂の玄関口左上に木製の魚がつるしてあるのがそれで、少し拡大したのが下の写真である。
魚形開板
これは開板(かいばん)というもので木槌でたたいて音を出し僧達に時刻を知らせるものだそうだ。これの巨大なものが黄檗宗の大本山宇治の黄檗山萬福寺にもある。
黄檗山万福寺の巨大な魚形開板
上の写真がそれで、齋堂と呼ばれる食堂の前の回廊にかかっている。ということで、慶瑞寺が黄檗宗の寺で、恐らくうえのお堂は食堂でもあることを語っているようだ。
左後方 後水尾天皇の歯を納めた聖歯塔
その他境内の一角に上の写真のような多重石塔が立っている。実は、これは、この寺をよく訪れたという後水尾天皇の歯を納めたもので聖歯塔と呼ばれる。といった具合にこの寺もなかなか由緒ある寺で下に説明板を示しておく。
慶瑞寺の説明板(クリックすると大きくなります)
慶瑞寺を出て西へ阪急電車の総持寺駅で電車に乗り帰路についた。
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